沼島のアジ 手釣りで守る 黄金の魚体

沼島のアジ 手釣りで守る 黄金の魚体

「きたっ」。小雨の朝、一本釣り漁師の石井和夫さんが指先で手応えを確かめながら、糸を引き上げる。掛かっていたのは大きくてふっくらしたアジだ。「晴れの日は体がきれいに光る」という。口元を針外しに当てると、魚体が滑り台のようなパイプを通っていけすに収まった。魚を傷めないよう、人の手が触れることなく釣り上げる工夫だ。(多彩な自然に恵まれた兵庫の優れた食材を、テロワールの視点で掘り下げる連載の11回目は→「この記事では」に変更)南あわじ市、沼島のアジを紹介する。

 

 勾玉(まがたま)のような形といわれる沼島。国生み神話の「オノコロ島」という説もある

 

沼島は淡路島の南4キロに浮かぶ周囲10キロほどの島だ。西には渦潮で有名な鳴門海峡、東には紀淡海峡があり、南に太平洋とつながる紀伊水道が広がる。

 淡路島との間には、関東から九州まで延びる中央構造線が通り、地質は淡路島以北と全く異なる。緑や赤の結晶片岩が産出され、世界でも珍しい「さや状褶(しゅう)曲」や国生み神話の上立神岩がある、地形・地質の資源が豊かな島だ。

 淡路島の土生港との間で、1日に10便の沼島汽船が行き来する。人口約400人のうち漁業者が100人近い漁業の島で、タイ、ハモと並ぶ島の自慢が「黄アジ」と呼ばれるマアジだ。4~9月ごろが漁獲シーズンという。

 

太った「瀬付きアジ」

 

私たちが普段食べる一般的なアジは餌を追って、大群で泳ぎ回る。体は細長く全体に黒っぽい。

 一方、沼島のアジは周囲の岩礁などに居着く。豊富な餌を食べ、激しく動き回ることもないので太っていて肉厚だ。「脂がのって色つやが良く、魚体は金色がかっている」と石井さん。小さなサイズの方が金色はきれいに出るそうだ。

 この種のものは、日本の一部の内海や内湾で見られ、「瀬付きアジ」「根付きアジ」、あるいはその色から「黄金アジ」「金アジ」とも呼ばれている。富津(千葉)、倉沢(静岡)、萩(山口)、三瓶(愛媛)などの地域では、ブランド化に取り組んでいる。

 沼島のアジは、関西ではあまり知名度が高くない。というのも、ほとんどが東京に出荷されているからだ。

 

Nushima horse mackerels are not very well known in the Kansai region. This is because most of them are shipped to Tokyo.

 

築地で半世紀前から

 

 

石井さんが1匹ずつ丁寧に釣り上げるアジ=南あわじ市沼島沖

 

この特別なアジの価値を見いだしたのは半世紀ほど前、全国の魚を扱う東京・築地市場の関係者だったようだ。

 2020年9月に現役を引退した東京・新橋の「第三春美鮨」のすし職人、長山一夫さんが著した「江戸前鮨 仕入覚え書き 増補」に、沼島のアジとの出合いや魅力が詳しく記されている。

 昭和40年代後半、東京湾や相模湾でヒラアジ(キアジ)の入荷が減っていたころ、淡路の荷受会社が築地に持ち込んだ沼島のアジが評判になった。全国各地から集まるものとは一味違っていたという。長山さんは1987(昭和62)年、鮮度の良さとうまさの秘密を解明しようと、沼島を初めて訪れた。そこで一切魚体に手を触れない一本釣り漁師の繊細な漁の営みと、海水と氷を生かす荷受会社の浜締めなど、魚を扱う高い技術に驚いた。

 魚の見方やうまさのとらえ方、仕入れの考え方の原点となったという旅を経て、沼島のアジについて客に正確に伝える料理人としての役割を強く自覚した、と著書に書き記している。

 

 

温暖化と海の栄養減

 

沼島のアジは今も、東京のすし店などで高級魚として人気がある。島では40人ほどが一本釣り漁の伝統を受け継いでいるが、近年は海の異変と漁獲量の減少に悩まされている。

 「去年も捕れんかったが、今年も6月途中から減っている。例年の4分の1くらいの感覚」

 前述の漁師、石井さんたちが感じる異変の一つは温暖化だ。瀬戸内海特有の冬の季節風が弱い年が多く、海水温が下がらない。南の海の魚を見ることも増えた。もう一つの気掛かりは海がきれいになりすぎていることだ。下水処理で陸地の窒素やリンなどの栄養分が海に供給されず、この状態が続くと海の生態系は痩せ細ってしまう。

 直接出荷する若手漁師グループ「沼島一本釣り産直部」の代表の上野宏文さんは「今は漁獲が不安定で、注文があっても十分に応えられない状態。ほんまは地元の神戸、関西に広げたいが…」と話す。

 

 

 

上品なうまみと甘み

 

料理店「水軍」で調理してもらった刺し身。食べるには予約が必要だ

 

沼島の料理店「水軍」で刺し身をいただいた。口の中で脂が溶け、上品なうまみと甘みが広がる。「1日寝かせると、うまみと甘みが強くなる」とオーナーの谷口正三さんはほほえむ。

 1匹ずつ手で釣り上げられる身を味わいながら、魚本来のおいしさを食べる人に丁寧に届けようとする、兵庫の漁業者たちの伝統技術と豊かな海のテロワールを代表する魚だと、あらためて実感する。

 沼島のアジと一本釣りの文化が続いていくためには地元兵庫の人々が味わい、瀬戸内海の再生に向けた新しいつながりが生まれることが必要だと思った。