丹波黒 黒豆でも枝豆でも最高峰

丹波黒 黒豆でも枝豆でも最高峰

独特のコクと深い味わいはやはり別格で、ビールが恋しくなる。いただいたのは秋に収穫したという大粒の丹波黒大豆の枝豆。少しゆでて急速冷凍したものを、食べる時に塩ゆでする。「こうすると新鮮な風味が1年楽しめる」。そう言って、丹波黒大豆の地域特産物マイスターの山本博一さん(丹波篠山市川北)はにっこり笑う。

 

丹波黒大豆を収穫するマイスターの山本博一さん=いずれも丹波篠山市川北

 

テロワールの基本は土だ。まずその話から切り出すと、山本さんは東西に長い篠山盆地の歴史を語り始めた。

 

 

化石と肥沃な土

 

 

 「昔、この辺は湖だったが、地殻変動で篠山川が加古川の方に流れるようになった結果、ここから少し西の川代の方で恐竜の化石が出てきた。篠山でも田んぼを整備した際に化石が出たらしい」

 思いがけぬ化石の話にテンションが上がった。川代渓谷は丹波竜発見地で有名だが、篠山の田んぼの話は聞いたことはない。後日、地層に詳しい県立人と自然の博物館主任研究員の加藤茂弘さんに尋ねると、「出てもおかしくはない」という答えが返ってきた。

 加藤さんによると、かつて篠山盆地は南の武庫川の源流域だったが、3万年前に土砂でせき止められ、古篠山湖ができた。やがて湖から川代渓谷の方に水があふれだし、山肌を削って加古川へと流れる今の篠山川ができたという。

 篠山盆地から丹波市山南町東部まで東西18キロに分布する「篠山層群」は、恐竜や古い哺乳類の化石で注目される地層だ。3万年前の出来事で生まれた新しい川が、はるか昔の1億年前の地層を削るようになったことで、世界的にも貴重な化石が現れた。同時に、湖の水が抜けて出現した肥沃(ひよく)な黒土が覆う篠山盆地も、大地の活動の恵みなのだ。

 

 

 「減反」が救った

 

10月の枝豆収穫は日の出とともに作業が始まる

 

 「丹波黒大豆(丹波黒)」は旧丹波国地域で栽培されてきた在来種の総称だ。江戸時代中ごろ、享保(きょうほう)15(1730)年に著された料理解説書「料理網目調味抄」に、丹波の黒豆の記述が登場する。現在では、丹波篠山市だけで755ヘクタール(2020年)も栽培されている丹波黒だが、どのようにして特別なブランド産物となったのだろうか。

 丹波篠山市農都創造政策官の森本秀樹さんは「水不足のため、一部の田んぼで稲作をあきらめ、畑地利用したのが始まり」と説明する。同じ農地だと生育が悪くなるため、場所を毎年変えるいわゆるブロックローテーションや、丹波黒ならではの大きな畝で育てる技術も、既にあったという。

 丹波黒には、前述の山本さんらの川北地区で受け継がれてきた川北黒大豆と、日置地区で育成された波部黒大豆という二つの在来系統がある。

 江戸時代から名声を博し、明治以降も東京や大阪、京都などの富裕層に珍重されていたが、戦後は栽培面積が減り、1960年ごろにはわずか10ヘクタールになっていた。

 「消滅の危機を救ったのは、実は米余り。71年に始まった他作物への転換を促す『減反政策』だったんです」と森本さん。

 それとともに進んだのが大粒化だ。北海道産との差別化を進めるため、農家や農協が大粒の選定と栽培を繰り返す中で、2000年代には1940年代の2倍の大きさになっている。

 丹波黒の人気と価格が高まるとともに、篠山と同じ内陸性気候の現在の宍粟市や朝来市、多可町のほか、岡山、滋賀、香川など他県にも栽培が広がった。

 だが、産地拡大は供給過剰と価格暴落を招いた。ピンチに直面したことで、おせち料理に限られていた需要を開拓する動きが本格化する。80年代のことだ。

 

血液サラサラ

 

 丹波黒大豆の枝豆。さやが黒いものほど味わい深い

 

農協は全国販売に力を入れ、民間でも煮豆製品やお菓子などの開発が活発化する。「料理番組などで、家庭でもふっくらとした煮豆がつくれる料理法が広がったのが大きい」と話すのは、「丹波黒大豆の300年」の著作がある元県職員の島原作夫さん。

 健康効果ブームで「血液サラサラ」などの表現がメディアに頻繁に登場するようになり、枝豆人気で需要がさらに拡大した。今では栽培の4分の1が枝豆用で、秋の旬の味覚として定着した。

 島原さんは「篠山の人たちが偉かったのは、希少品の黒大豆を生産拡大した時、うまく高級ブランドに定着させたこと」と話す。

 

気候変動と闘う

 

 丹波篠山の黒大豆栽培は今年2月、日本農業遺産に認定された。ただ、恒常化する高温や長雨などの対策が大きな課題となっている。今年も、秋の少雨で十分に膨らみきらない楕円(だえん)形の豆が増えるなど、異常気象の影響に悩まされた。

 「気候の変化には、人の技術を磨いて乗り越えていくしかない」。森本さんが厳しい表情で語った。

 農業は地球温暖化の影響をじかに感じられる現場だ。人が自然とともに産物を作り上げる「型」であるテロワールを、気候変動は崩そうとしている。

 地球の限界を超えないためのSDGs(持続可能な開発目標)は、かけがえのない地域の個性である特産物を、次代に継ぐための取り組みでもある。そのことを強く認識すべきだと思う。