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神戸市 - 酪農/弓削牧場

夫婦の絆が切り拓く、古くて新しい酪農のカタチ

公開日|2022年3月3日

神戸市北区の山上に、住宅街に囲まれるようにして佇む「弓削(ゆげ)牧場」。最新の搾乳ロボットを備えた牛舎に、チーズ工房やレストラン、バイオガス施設などがそろい、牛が自由に山上を駆け回るその様子は、牛が主役となって暮らす一つの街のよう。住宅街と隣り合う環境において、地域に愛され共存していく都市型酪農のあり方を探求する弓削夫妻にお話を伺いました。

弓削忠生(ゆげただお)・和子(かずこ)

弓削忠生(ゆげただお)・和子(かずこ)

「(有)箕谷酪農場」と「(有)レチェール・ユゲ」から成る「弓削牧場」。酪農場の取締役会長を忠生さん、チーズ部門の代表取締役を妻・和子さんが務める。乳牛の飼育、チーズの独自開発、チーズの創作料理のレストランと、1次〜3次産業を弓削一家で手掛けている。

のどかな山の上で暮らす人と牛

六甲の北側、標高400メートルの山上にある「弓削牧場」。閑静な住宅街を抜けた先に門が現れ、9ヘクタールの地に牛舎やチーズ工房、レストラン、バイオガス施設、畑など別世界が広がります。

広大な草原という一般的な牧場のイメージとは異なり、牛たちは山に放牧され、急傾斜を力強い足取りで走り回ったり、のんびりと昼寝をしたりして過ごします。「うちの子らは山の運動場で、六甲の澄んだ井戸水を飲んで、干し草をもりもり食べて育ちます。100%自家育成の、言わば中高一貫教育みたいなもんです。毎日山を登り降りするから、私よりよっぽど健康ですね」。ユーモアを交えて我が子のように牛を語る場長の弓削忠生さん。奥さんの和子さんと3人の子ども達と一緒に、家族で牧場を営んでいます。

忠生さんは、父であり、牧場の創設者でもある吉道さんの三男として生まれ、幼少期から食卓に自家製のバターやクリームなどが並ぶ家庭で育ちました。一方、奥さんの和子さんは大阪の都会育ち。結婚して、牧場にやってきた際には、西欧文化が根付いた家庭に驚くことも多かったそう。「当時は牛の飼育だけの牧場だったものの、大阪の町から嫁いだ私からすると未知の世界で、宝物がいっぱい眠ってるような気がした」と顔をほころばせます。「義父はお酒が入るとオルガンを弾きながら孫とダンスを踊ったり、英語の歌を口ずさんだり。ハイカラで洒落た神戸人だなと慕っていました」。

失敗は成功の種。それを育てた夫婦の絆

2人の敬愛する父であり、牧場の大黒柱でもあった吉道さんが亡くなったのは1983年。ちょうど同じ頃、牛乳の国レベルでの生産調整により乳価が低迷し、弓削夫妻は牧場経営の窮地に立たされます。

牛乳で生計を立てていた弓削牧場が、活路として選んだのがチーズづくりでした。しかし、同年12月に3人目の子どもが生まれたばかり、子育てで手一杯だった当時の和子さんには、経済的にも体力的にも非現実的なプランに思えました。

「当時チーズは日本の家庭に普及してなくて、乳価が低迷する中でも自分で価値を決められる商品だと考えました。神戸なら港があって、外国の文化が浸透しているから、西洋のチーズ文化も受け入れてもらえるんじゃないかって。父から託された牧場を守り抜くにはチーズしかないと思ったんです」。

そうと決めたら我を忘れて没頭するのが忠生さん。当時日本語の文献はほとんどなく、夫婦二人で夜な夜な英語の文献を辞書片手に訳しては試し、牧場の仕事の傍ら、文字通り365日働きづめでチーズづくりに取り組んだそう。「男のロマンは女の不満っていうでしょ(笑)。でも、妻もついに僕の根気強さに折れて、“失敗の数なら誰にも負けないね”なんて笑ってくれて。僕の数々の失敗作をいろんな形で食卓に出してくれましたよ」。

初期のチーズ工房

当時としては珍しい空輸の白カビチーズを買ってきて、カード(固めた牛乳)にのせてカビの繁殖を試みたり、乳酸菌や酵素を求めて幼子を連れて軽井沢や東京を駆け回ったり。しかし、なかなか結果が出ない日々が続きます。特に、日本独特の四季による温度と湿度の変化への対応に悩まされたと言います。

「あの頃、早朝に見る夢は白カビの夢ばかりでした。私の足元をはいはいをしてじゃれてくる次女をあやしながら、家事も仕事もこなして。夫とはチーズづくりの方向性でぶつかることもあって、パートさんからは“この夫婦、明日は離婚か?”と心配されるほど。そのくらい2人ともチーズづくりに没頭していました」と和子さんは笑います。

苦悩の日々が続いていた1984年の秋、冷蔵庫の密閉容器の中で、たまたま湿度などの条件が合致したのか奇跡的に初めてカマンベールチーズが完成。ビロードのように見事な白カビに包まれたチーズを見た時の感動を忘れることはない、と2人は口を揃えます。そして、カマンベールの失敗の繰り返しの中から生まれたのが『フロマージュ・フレ』。最低4週間の熟成が必要な白カビタイプの『カマンベールチーズ』に対して、『フロマージュ・フレ』は原乳を絞って2日で出来上がる熟成前のフレッシュチーズ。生チーズとあって賞味期限の短さが普通ではデメリットになるところ、消費者との距離が近い都市型酪農家だからこそ提供できるチーズとして付加価値がつき、「弓削牧場」を代表する看板商品となりました。

手塩にかけて育てたチーズの商品ラベルは、当時まだ幼かった3人の子どもたちをモチーフに和子さん自身がデザイン。製造販売を始めた1985年から8年の時を経て、1993年には文藝春秋が出版する「チーズ図鑑」に『カマンベールチーズ』と『フロマージュ・フレ』が世界の名だたるチーズ889点と肩を並べて掲載されるまでになりました。日本からは12点のみ、ほとんどが「雪印メグミルク株式会社」などの大手メーカーから選ばれるなか、小規模酪農家としては快挙でした。

ここでしかできないメニューづくり

弓削牧場の製品のおいしさの秘密はストレスフリーな牛の飼育方法にあります。2000年ごろには、関西で3番目の速さで搾乳ロボットを導入。人の手なしで24時間搾乳できることから、牛はお乳が張ったタイミングで自らの意思で機械に入り、慣れた様子で搾乳をはじめます。牛たちのストレス軽減という点でも、また安定した商品の供給という点でも、「弓削牧場」にとって欠かせないものになりました。

「すべての基本は牛乳がいかに美味しいかです。美味しい牛乳から美味しいチーズができる。そのために牛がいかに健康でハッピーであるかが大切だと考えています。そして昔から搾りたての牛乳を毎日飲んできた私たちが納得できる、限りなく生乳に近い状態で提供するため、低温殺菌(63~65℃で30分殺菌)、ノンホモゲナイズ(脂肪球を細かくしない)、そして容器の匂いが移らない瓶詰めと、その3点にこだわっています」。

また「弓削牧場」の取組として、牧場内にレストラン「チーズハウス・ヤルゴイ」を開設しているのも特徴です。日本ではなじみが薄かったフレッシュチーズの“おいしい食べ方を提案したい”と、開設当初から自家製チーズを使ったメニュー作りを行ってきました。

左は『生チーズの冷や奴風』、右は白ごはんに『フロマージュ・フレ』を合わせた『ちょこっとごはん』

『フロマージュ・フレ』にスライスオニオンと削り鰹をかけ、醤油とすだちで仕上げる『生チーズの冷や奴風』は名物の一つに。和と洋が調和した、親しみがありながらも新たなチーズの魅力を発見できるメニューです。

「チーズハウス・ヤルゴイ」でいただける『弓削牧場おすすめランチセット』

「レシピは私たちの自由な創作のオンパレードですけど、多くの方に喜んでもらえてます(笑)。こんな食べ方があるんだとか、同じチーズでも種類によってこんなに味わいが違うんだとか感じながら食べてもらえれば。私たちは単なるレストランではなく、発信拠点としてとらえていて、ここだからできる、ここでしかできない物づくりを続け、チーズや酪農に対する私たちの思いを伝え続けています」。

地域と歩む「弓削牧場」のこれから

忠生さんは、今、酪農家が抱える問題についても切り込みます。「弓削牧場の周辺も気がつけばすっかり住宅に囲まれてしまって。この地で牧場を守るためには、都市型酪農のあり方を考えていくことが必要だなと考えています」。その一歩として、「弓削牧場」が今一番力を入れているのがバイオマスの取り組み。牛の糞尿を密閉した発酵槽でメタン発酵させて、熱や電気を生むバイオガスと、作物の肥料になる消化液を作り出す仕組みです。

バイオガスユニット施設の内部。構想から小型バイオガスの実現まで10年かかりました。

現在は弓削牧場の取組に理解のある近隣農家に消化液を販売し、ガスは牧場のエネルギーとして稼働。「レストランもそうですが、やっぱり都市の中の酪農家としてやっていくには、地域の人にもメリットがないと共生できないでしょう。“牛くさい牧場“じゃなくて、循環型農業を実践する牧場、地域の農業を支える牧場、そして癒やしの空間としても価値ある存在になりたい。そのモデルになることで、都市型酪農の減少の歯止めになれればいいなと思います」。

牧場で販売中の5L入りの消化液

2018年には「弓削牧場」のバイオガスユニットによって生み出された消化液が、有機JAS資材リストに登録。兵庫県を代表する酒米「山田錦」を生産する水稲農家が、消化液だけで米を育て、地元の酒蔵がその山田錦を使って日本酒を醸造し、販売に至ったことが大きく報じられました。また、家庭でも気軽に消化液を使った植物や作物の栽培ができるようにと、消化液入りのプランター栽培も実験中とのこと。

このような循環型農業や都市型農業を進める上で、神戸はこれ以上ない適地だと忠生さんは故郷を誇ります。「都会的でありがながらも、海や山、農村と共存してきた神戸だからこそ、持続可能な農業の形を構築できると思いますね。生産地と消費地が近いうちみたいな都市型農家は、新鮮なものをその日のうちに消費者の口に届けられる“地産地消”を実現できます。そうした取り組みが広がれば、安心安全でおいしい農産物が食べられるレストランのある街として、街の活性化にもつながるんじゃないかな」。

「弓削牧場」の存続だけでなく、農業や思いの詰まったふるさと・神戸の可能性をも追求してやまない忠生さん。その背中を見て、和子さんは「この人は走り出したら止まらないんですよ。私も気づいたらいつも一緒になって全力疾走してますけど」とぽつり。チーズづくりから紡いできた夫婦の絆が、地域のサステイナブルな未来を明るく照らします。

  • 取材先

    弓削牧場

  • 公式サイト

    https://www.yugefarm.com/

  • 住所

    兵庫県神戸市北区山田町下谷上 西丸山5-2 Google map

  • TEL

    078-581-3220

  • 営業時間

    チーズハウスヤルゴイ 11:00~16:30
    ※水曜定休(1・2月は火・水曜)