TOP伝統を繋ぎ、新風を吹き込む「世界でたった一つのモノ」
西脇市 - 播州織

伝統を繋ぎ、新風を吹き込む「世界でたった一つのモノ」

公開日|2022年3月7日

日本の繊維産業と播州織の発展を支えてきた西脇市で、新たなブランド「tamaki niime(タマキニイメ)」を立ち上げ、活躍を続けているデザイナーの玉木新雌さん。尽きることのない探究心と自由な発想で生み出す作品は国内外から人気を集めています。玉木さんが「世界でたった一つのモノ」をクリエートする舞台の裏側をのぞいてみましょう。

玉木新雌(たまきにいめ)

玉木新雌(たまきにいめ)

1978年、福井県勝山市に生まれる。武庫川女子大学を卒業後、服飾専門学校でファッションを学び、大阪の繊維専門商社に就職。パタンナーとして働き、2年後に独立する。2004年に大阪で「tamaki niime」を立ち上げ、2010年より西脇市で活動を開始。「唯一無二」「一点モノ」を追求した作品は、現在、全国200店舗以上、海外約20カ国で販売されている。2021年は東京・町田に関東初の直営店をオープンした。

播州織の伝統に新風を起こす「tamaki niime」

澄み渡った空の下、穏やかな風に吹かれ、ふわりふわりと舞う無数のショールたち。視界を鮮やかに染め、訪れる人々の心を引きつけます。「天日干しはショールづくりの最終工程。お日様に当てて空気を含ませると、うちの自慢の作品はぐんと風合いが増すの。この光景が見られるのは、好天の日にLabを訪れた人だけよ」。そう声を弾ませるのは、新進気鋭の播州織ブランド「tamaki niime」の代表・玉木新雌さんです。

ここは、兵庫県西脇市比延町。田園が広がるのどかな地に「tamaki niime」の拠点「Shop&Lab」はあります。元染色工場をリノベーションし、事業拡充に伴い移転してきたのは2016年のことでした。
「この地域には昔、播州織の始祖である飛騨安兵衛さんが暮らし、村の人たちはShop&Labのそばにある岡ノ山古墳に祈りを捧げていたとか。初めて訪れた時に、エネルギーに満ちた気持ちの良い場所と感じて移転を即決したけれど、本当は播州織の神とこの地の神に導かれたのかもしれない。今はtamaki niimeが播州織の魅力を伝えていく上で、なくてはならないステージなの」。

山々を背にどっしりと建つShop&Lab。扉を開けるとShopスペースが広がり、播州織のショールやニットなどの「1点モノ」が彩り豊かに陳列されています。その奥にあるのは、誰でも自由に見学できるガラス張りのLab。内部や作業工程を詳しく説明してもらえるツアーも人気です。 ブランドの心臓部とも言えるLabを包み隠さず公開しているのは、「確かなモノづくりを行っている現場の熱量を知ってもらい、生まれた作品に信頼を寄せてほしい」という玉木さんの強い思いから。

Labでは重厚な織機がリズミカルな音を響かせて生地を織り、全国から集まった若いスタッフたちがいきいきと仕事に取り組んでいます。「tamaki niime」の最大の特徴は、糸の染色から織布、デザイン、縫製、仕上げまでを自社で行う一貫生産にあります。生産効率を上げるため、各工程を中間業者に分業するアパレル企業が多い中、手間を惜しまない生産体制で、一つ一つの作品と真摯に向き合っています。

産地・西脇のこれまでの歩みと培った強み

「tamaki niime」の作品に象徴される播州織は、先に染色を施した糸を使って、多彩な柄の生地を織る先染め織物です。チェックやストライプの縞柄が伝統的で、シャツを中心としたさまざまな商品に使われてきました。
播州織が西脇の地場産業となって約220年。その歴史は江戸時代中期、地元の宮大工だった飛騨安兵衛が、西陣織の技術を京都から持ち帰ったことに始まります。西脇では昔から綿花栽培が行われ、各家庭で衣類が作られていたことに加え、染色に欠かせない豊かな水資源にも恵まれたことから、織物が発展していきました。

播州織は、明治時代後期には力織機の普及で家内工業から工場生産へと移行し、第一次世界大戦後は海外へ販路を拡大。昭和に入ると飛躍的に生産量を伸ばし、好景気に沸きました。その後はオイルショックや海外製品の台頭など、時代のあおりを受けますが、現在もシャツ生地の生産量では国内トップクラスを維持。高い技術には名だたるメゾンブランドも信頼を寄せています。
「西脇は昔ながらの技術をしっかり受け継いだ凄腕の職人さんたちが現役で活躍し、生地を作るすべての工程が産地の中で完結できる本当に貴重な産地。製作過程で職人さんとデザイナーが顔を合わせてディスカッションができ、共有したディテールや仕上がりのイメージをスムーズに形に落とし込んでもらえるの。私もスタッフも、もっと多くの職人さんと出会って、学べる環境があるうちに、熟練の技や知恵を勉強させてもらわなければと思っているの」。

ブランドのアイコン「ショール」誕生の秘話

今ではすっかり西脇に溶け込み、地域の人々に支えられて成長している「tamaki niime」ですが、ブランド誕生の地は大阪。2004年の立ち上げから数年間はブランドの方向性が定まらず、唯一無二のモノづくりを、ただひたすら模索する日々が続いていました。
そんな時、生地の展示会を訪れた玉木さんは、1枚の布が目に留まり、そばにいた男性に声をかけます。これが、後の人生に大きな影響を与える播州織職人・西角博文さんとの出会いでした。1週間後、西角さんから「あなたのアイデアを元に生地を作ってみたよ」と連絡が来て、目を丸くした玉木さん。「すぐに形にできる西角さんのフットワークの軽さと、望めば布は思うように作れるんだということに驚いて。私の思いを生地にしてくれる職人さんがいれば、素材から唯一無二のモノづくりができると確信した瞬間、視界が晴れ、この方法一本でいこう!と決心したの」。

西角さんとのモノづくりをスタートさせた玉木さんは、西脇へと移住。市内に店を開き、セレクトオーダーのシャツづくりを始めます。「シャツ生地の開発中に、たまたま縫製ができないほど柔らかい生地ができ、なにげなく首に巻いてみると、すっと体に馴染んで気持ち良かった。そこで初めて、柔らかい生地は裁断するだけで巻きモノになるし、私は布のデザインだけに集中して、効率的に唯一無二のモノづくりができるんじゃないかって気がついて」。

ショールにブランドの未来を見いだし、玉木さんはモノづくりのスピードを加速させます。織機をゆっくりと動かし、柔らかく軽やかな風合いを表現した「roots shawl(ルーツショール)」、1960年代の力織機を玉木さんが操作し、手仕事で織ったような温もりのある肌触りを実現した「only one shawl(オンリーワンショール)」、ルーツショールにオリジナルプリントを施した「print shawl(プリントショール)」と、次々に作品が誕生。瞬く間にファンが増え、ショールは「tamaki niime」の代名詞になりました。
多様なアイテムを手掛けるようになった今も、「うちのイチバンはショール!」と言い切る玉木さん。“ショール愛”は絶えることがなく、日々新作のデザインづくりに情熱を傾けています。 「ずっと同じものを作っていると、挑戦する意欲が失われ、モノづくりではなく“生産”になってしまう。だからスタッフにも毎日、何かに挑戦するモノづくりを続けてもらいたいの」。

唯一無二を支える織機とこだわりの原点

「tamaki niime」の作品が多くの人々を魅了するのは、包み込まれるような優しい肌触りと、生地を立体的に見せる配色など、玉木さんの柔軟なアイデアを落とし込んだデザインにあります。この2つを表現する上で欠かせないのは、地元の機屋などから受け継いだヴィンテージの力織機たち。玉木さんは「機械と対話をしながら、少しずつ出来上がる生地を眺めるのが楽しい」と言い、丁寧なメンテナンスで労をねぎらいます。
また、デザインの細かなニュアンスを具現化するために必要な糸は、糸商から買い付けるだけでなく自社でも染色。手染めに近い昔ながらの技法で、手間をかけて柔らかな風合いを引き出しています。

これほどまで頑なに、玉木さんが「唯一無二」や「1点モノ」にこだわる原点は、子ども時代にあります。故郷はナイロンやポリエステルの繊維産地で知られる福井県勝山市。洋服店を営む両親のもとで育ち、小学生の頃にデザインや素材、着心地への探究心が芽生えます。突き詰めるほど既製服に満足できなくなり、中学生になると自己流で洋服づくりを始めました。
「洋服づくりと同じくらい没頭したのがジグソーパズル。完成を目指して積み重ねていく作業が好きで、難易度が高いほど完成した時の達成感もひとしおだった。それは洋服づくりと同じ感覚だったのかもしれない。自分自身に試練を与えて、クリアするのを楽しむのは、今の活動にも通じること。常に唯一無二のモノづくりを模索し続けるのが私の生きがいなんだと思う」。

ブランドの未来と西脇への思い

四季折々に表情を変える里山の風景や、地域の人との温かな触れ合いが、玉木さんのモノづくりにインスピレーションを与えています。
「頭がインプットを求めている時は、情報にあふれる都会に引かれるけれど、アウトプットする時は落ち着いた環境が必要。西脇のように空気の澄んだ場所で自然を相手にクリエーションしないと、人の心に響くものは生み出せないと思う。しかもここは、東経135度と北緯35度が交わる“日本のへそ”と呼ばれる中心地だから、日本各地へ車で仕事に行く時は、アクセスが良くて便利だと感じているの。やっぱり私の適地は西脇なのよね」。

近年は、持続可能な社会の実現に向けた一歩として、オーガニックコットンの自社栽培をスタート。国内の綿花栽培農家とも契約を結び、収穫後のコットンを高値で買い取るなど、海外製に押され窮地に立たされている国内市場を支えています。また、ウールという素材への理解を深めるために羊の飼育を始めました。さらに食を見直そうと米・野菜の無農薬栽培に取り組み、ファッション以外の分野にも活動を広げています。その根底に一貫してあるのは、自然への敬意だと玉木さんは言います。

「働くことや食べること、学ぶことといった人の営みは、昔から自然との共生で成り立ってきたはずなのに、今はその考えが置き去りにされているように感じるの。私の中に生まれたこの疑問を解決するために始めたのが、農業や動物との触れ合い。体験は知識や感性を高めてくれるでしょう。私だけではなくスタッフも、こうした体験を通して自然に感謝し、自分の暮らしや生き方を振り返って、人や地球にもっと優しくなれたらといいなと思う」。

昨今は、若者たちが西脇に移住し、次の「tamaki niime」を目指して産地発のブランドを立ち上げる動きもあり、玉木さんの活動は人々に刺激を与え、地域を盛り上げる一助となっています。
また「tamaki niime」もさらなるチャレンジを求め、自社作品以外の播州織や郷土の食、雑貨などを集めた「tamaki niime shima」を市内にオープンしました。 「西脇には誇れるモノや技術がまだ多く眠っているの。PRが得意な私たちが地元の人たちと手を取り合えば、その魅力をもっと広く発信できるはず。tamaki niime shimaがまちを元気にするきっかけになれば嬉しいな」。
播州織と西脇の未来を見つめ、玉木さんはこれからも走り続けます。

  • 取材先

    tamaki niime 西脇本店Shop&Lab

  • 公式サイト

    https://www.niime.jp

  • 住所

    兵庫県西脇市比延町550-1 Google map

  • 備考

    営業時間や商品等の詳細は公式サイトでご確認ください