明石藩舞子台場跡は、幕末、大坂湾防衛計画の一環として、瀬戸内海上交通の要衝である明石海峡の防備を目的として、明石海峡の本州側、舞子の地に築造された軍事施設の一つです。
文久3(1863)年に幕府から一万両の貸し付けを受け、勝麟太郎(海舟)の指導のもと、急遽築造させたものです。4kmの海峡を挟んだ対岸の淡路島に築造された阿波藩の松帆台場(淡路市・国史跡)と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにする計画だったと考えられます。
発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が築造当時のままのものであり、台場の石垣全体も良好な状態で埋まっていることがわかりました。台場の形式は稜堡式(りょうほしき)と呼ばれ、石垣の平面図がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。すべて石で積まれた台場は国内では他に例がなく、たいへん貴重なものです。
ただ、砲台に伴う他の付帯施設は構築されず、実際には大砲も据え付けられずに、明治維新を迎えたようです。
住所 | 〒655-0046 神戸市垂水区東舞子町 |
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料金 | 無料 |
駐車場 | あり (有料) |
アクセス |
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お問い合わせ | 神戸市教育委員会事務局社会教育部文化財課 |
TEL | 078-322-5799 |
H.P | http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/estate/bunkazai/syokai/maiko_hodai.html |
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