歴史・背景
◆城史
この城は天正二年(1574)、それまで山名氏の本城であった此隅山城にかわって、山名祐豊により築城されました。その名は落城した「子盗」(此隅)の名を嫌って「有子」と命名したといいます。しかしわずか6年後の天正八年(1580)天下統一を狙う織田軍によって城は陥落。城主は因幡に出奔しました。その後城は織田系の城主の管理となりますが、江戸時代に入り、麓に出石城が築城され、有子山城は廃城となりました。
◆山名氏
山名氏は、室町幕府において侍所の長官に任ぜられる最も有力な大名の一人で、明徳の乱、応仁の乱の中心勢力として関与しました。但馬は南北朝の初期以来山名氏の根拠地であり、南北朝後半以降戦国期まで一貫して山名氏が守護の地位にありました。この山名氏の本国但馬における中世末期の本城が有子山城です。
◆現状
標高321メートルの有子山山頂に主郭とその西方に6段の曲輪が階段状に続き、また主郭の東南に千畳敷と呼ばれる曲輪があります。石垣の残りはよく、中世の城郭が近世の城郭に移行するまでの過渡期の形態をよく残しています。
『有子山城跡案内板』より
このお城ののみどころ
有子山城へ登るには出石城の赤い鳥居の下を通る階段を上り詰め、稲荷曲輪のある地点より左に折れ、そこから登っていくことになります。傾斜が急ですので、登城およびお帰りの際には細心の注意を払ってください。
本丸手前には「シノギ積み」の石垣も見ることができます。本丸での出石町全体を一望できるパノラマは登城した人々に感動をもたらすことでしょう。
住所 | 〒668-0213 豊岡市出石町内町 |
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料金 | 無料 |
駐車場 | なし あり(有料) |
アクセス |
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TEL | 0796-52-4806 |