歴史・背景
山下城(山下構)の詳細は不明です。一説には赤松則祐の家臣であった浦上七郎兵衛行景の居城と言われています。観応二年(1351)の光明寺合戦の際、赤松則祐に従って赤松直義の軍と戦ったことが書かれています(『日本城郭全集』)。
天正期の三木合戦では、城主浦上久松は兵を伴って三木城へ籠城して、羽柴勢と戦いました。この戦いの後、城は廃城となったようです。(『別所氏と三木合戦』三木市教育委員会刊参照)
常行院の南東の丘陵(通称城山)に、「播磨鑑」によると浦上久松(1570年代)の居城として”中世城郭遺跡”があります。
平成二十一年三月 加西市市史・文化財室の調査によると、この丘陵は、規模が大きく本丸も広い面積で立派な城郭を有する山城(山下城跡)であることが分かりました。そこで、里山ふれあい森づくり(住民参画型)事業を実施し、平成十九年度に落慶した常行院本堂とともに、この周辺を山下西町の「歴史遺産地区」に、また、山下城跡を「ふれあいの森」として整備しました。
『現地案内板』より
このお城ののみどころ
主郭の北側を歩いていくと井戸跡らしき水溜りがあり、そこから左へと斜面を上がっていくと、かなし大きな郭があり、土塁や横堀が見て取れます。二郭、主郭と大きな段差をもつ、美しい土の城です。主郭からは周囲が広く見渡せ、主郭の下には帯曲輪状に郭がぐるりと周りを取り囲み、さらにその下にも一段郭が造られています。さらにその下には城の南方を中心に竪堀群がみられるようです。城主の浦上久松は加西市史によれば「別所家無二の与力」だったそうです。
本岡氏の詳しい訪問コメントはこちら
http://www.siromegu.com/castle/hyogo/yamasita2/yamasita.htm
住所 | 〒675-2354 加西市山下町1130 |
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料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス |
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