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新温泉町 - 但馬牛

すべては但馬牛と農家のために。県民の宝を次世代へつなぐ

公開日|2022年6月24日

世界中の美食家が憧れるブランド牛「神戸ビーフ」。その全ての素牛(肥育される前の子牛)となるのが、兵庫県北部の但馬地域で血統を守りながら、家族同然として大切に飼育されてきた「但馬牛(たじまうし)」です。今では兵庫県内の各所で飼育され、全国のブランド牛のルーツと言われ、子牛価格も全国トップクラスを誇る但馬牛ですが、過去には子牛価格が低迷し、その血統の存続が危ぶまれた時代がありました。そんな窮地を救った1人が、但馬牛が大好きでたまらないという研究者・野田昌伸さん。但馬牛研究にかける思いや情熱についてお聞きしました。

野田昌伸(のだまさのぶ)

野田昌伸(のだまさのぶ)

1955年生まれ。日本獣医畜産大学獣医学科を卒業後、兵庫県内各地の畜産試験場で研究員として勤務。北部農業技術センター主任研究員や同センター所長を歴任。研究成果が高く評価され、「平成26年度農業技術功労者」表彰を受ける。現在は「但馬牛博物館」副館長として但馬牛のPR活動に取り組む。

牛飼い小僧が研究者を志すまで

日本人にとって原風景とも言える棚田。兵庫県美方郡では、きらきらと輝く水面が折り重なるようにしてどこまでも続く、昔懐かしい棚田の風景が、今でも日常生活に溶け込んでいます。

「この地域では、昔から但馬牛が人々の暮らしに欠かせない存在でした。牛の力を借りて田んぼを耕し、子牛が生まれれば貴重な収入源になる。牛は家族同然の存在で、1つ屋根の下で共に暮らしてきたんです。今は機械化が進んでいますが、私が小学生の頃は、牛とともに農業を営む姿が日常風景でした」。
そう語るのは、37年間にわたり兵庫県の研究者として但馬牛の研究に尽力してきた野田昌伸さん。但馬牛を飼育していた新温泉町塩山の農家出身で、物心ついた時から但馬牛と寝食をともにしてきました。
「私は牛飼い小僧でしたね。牛は家族であり、家の宝だったので、牛の背中に乗ったり、子牛の上をまたいだりするのはご法度でした。美方郡ではみんな牛に敬意を払っています」。

幼少期の野田さんが憧れたのは、牛の診療で定期的に自宅に訪れていた獣医さん。実家の子牛が高値で売れたことで大学の学費も工面し、獣医学部に進学。獣医を目指して勉学に励んでいた野田さんに、ある日転機が訪れます。

「大学3年生の時に、牧場実習で但馬牛の研究を行う『畜産試験場但馬分場』を訪れたんです。ずらーっと並んだ種雄牛(しゅゆうぎゅう)の血統や体格の特徴を、分場長が一頭一頭とても丁寧に説明してくれたんです。牛への愛情がこもった語り口に、“この人ほんとに牛が好きなんやなぁ”と心を打たれて……自分も県の職員になって、但馬牛に関わる研究がしたいと思うようになりました」。

農家と牛に寄り添った研究を

大学卒業後、県の研究者として但馬牛に携わるようになった野田さん。野田さんがこだわったのは、基礎的な研究を長期間にわたって行うよりも、農家の方々にすぐに役立つ技術を生み出すということ。
「牛を育ててくれる農家がいなくなってしまったら、但馬牛もいなくなってしまう。だからこそ、まずは農家のためになる研究がしたいという気持ちが強かったです」。

そしてもう一つが、牛の気持ちに寄り添って研究をするということ。
「とにかく牛が好きなんです。手を掛けたら掛けただけなついてくれるし、応えてくれる。それがうれしい」。
野田さんが生まれ育った美方郡には、“手間暇かけて牛の世話をすることが大切”という意味で「牛に手豆を食わせなさい」ということわざがあり、野田さんはその考えを受け継ぎ、実直に体現していきます。

野田さんの具体的な取組の1つが、「昼間の分娩率を上げる」という研究。以前は、飼い主が気づかないうちに夜間に出産し、朝起きると子牛が亡くなっていたり、冬の夜中の分娩で獣医さんの往診を頼めず、翌朝診てもらったが手遅れだったり、という事例が多かったと言います。そこで分娩予定日の2週間前から、通常は朝晩2回のエサやりを晩の1回のみに変えてやることで昼間分娩率が上がるというデータをもとに、研究と実践を重ねました。結果、それまで44.6%だった昼間(6時~18時)の分娩率が78.3%まで上昇し、農家に大きな助けとなりました。

また、但馬牛は5月下旬から10月まで草原に放牧するのが習慣ですが、その放牧に「パブロフの犬」で良く知られる手法を適用します。エサの時間になると必ず松村和子さんのヒット曲「帰ってこいよ」をスピーカーから流すことにより、牛が自発的に牛舎に戻ってくるようにしつけたのです。「研究のテーマは効率的なしつけ方だったのですが、一般の農家で飼育される雌牛は牛群の中の社会的な序列をとても重んじる生き物で、ボスを筆頭に、必ず力の強い順に戻ってくるんです。順番が異なっていれば、牛にケガなどの異常があったことが分かります」。

他にも、子牛の正常な発育を促すために必要な補乳量の数値化、乳量が少ない母牛の見分け方、母牛の乳量が足りない場合は代用乳を追加給与する飼育方法を推進するなど、農家と牛に寄り添った技術の開発をいくつも実現していきます。
「遺伝などの基礎研究は当然重要です。しかし、その核となる研究は他の研究者に任せ、私の役目は、県内の農家のもとを駆け回り、1軒1軒をつないでいくことと考えていました」と野田さん。実際に但馬牛が育つ現場に足を運び、但馬牛の今と未来を担う人々と交流することで、農家との信頼関係を築いていったのです。

但馬牛のピンチを救ったスーパー種雄牛

但馬牛が大好きな野田さんでも、研究がつらい時期があったと言います。それが、1990年代後半から農家を悩ませた種雄牛(しゅゆうぎゅう)の不作。種雄牛とは「お父さん牛」のことで、肉量や肉質などの厳しい基準をクリアした12頭だけが毎年選出され、県によって管理されています。但馬牛の繁殖は人工授精によって行われ、雌牛に精子を提供できるのはわずか12頭の種雄牛のみ。父親となる種雄牛が不作だと優秀な子牛も不足するので、競りに出される子牛の価格が下がり、農家には大打撃。流通する但馬牛の質も落ちてしまい、但馬牛は今までにない窮地に立たされました。

その際声高に叫ばれたのは、「成長が早く利益率の高い県外の牛と交配させる」という方法でした。しかし、それは但馬牛を守り続けてきた人にとって屈辱的な選択肢だったのです。

但馬牛が全国的に高く評価される理由の1つは、その血統にあります。鎌倉時代の書物にも登場している歴史ある但馬牛は、深い山々と谷に囲まれた地域で他の県の牛と交配することなく繁殖を続け、純血を守っていました。120年前には「牛籍簿」と呼ばれる牛の戸籍表を独自に作成。全ての牛の父・母、いつ生まれ、どの村のどの農家で育ったのかが記録され、優秀な牛の子孫を積極的に残していくことで、但馬牛のレベルは向上し続けてきました。県外の牛と交配させるという意見は、県知事も巻きこんだ大論争となります。
「結局、いろいろな人の反対にあって但馬牛の血統は守られたんですけど、状況が好転する兆しは見えなくて、誰もが不安でした」。
野田さんの実家は、名の知れた繁殖農家。野田さん自身も研究者として有名な存在だったため、夜な夜な自宅に電話がかかってきて、「研究者が悪いから、優秀な種雄牛が生まれないんだ!」と心無い声を浴びせられることが少なくなかったと言います。

福芳土井(H10年3月26日生まれ/H15年4月から一般供用開始)

そんな中、優秀な雄の子牛を探して県内の農家を巡るうち、平成10年、ついに一頭の子牛と出会います。それが、のちに「スーパー種雄牛」と呼ばれ、但馬牛のピンチを救うことになる「福芳土井(ふくよしどい)」。骨太で一見従来の但馬牛らしさはありませんでしたが、母方の血統構成や祖先の肉質が良かったことから、一目見て「この牛はきっとすごい牛になる」と直感した野田さん。小柄であることが但馬牛のアイデンティティとされ、昔から「但馬牛は小さくあるべき」という価値観が研究者の中にあったため、極めて大柄な体格だった福芳土井を種雄牛候補として選んだ野田さんには、周囲から大きな反対が。それでも研究を続け、平成15年、見事に基幹種雄牛となった福芳土井は次々と優秀な子孫を残し、その子どもたちは現在でも但馬牛のブランド力を支え続けています。「つらい時期もありましたが、福芳土井を見いだし、その能力が肉量肉質ともに歴代最高であることが証明された瞬間が、私の研究者人生で一番うれしい出来事でした」。

頑張れるのは、「但馬牛が大好き」だから

研究者として37年にわたって県内各地の試験場に勤務した野田さんは、2016年に定年退職。美方郡に古くから伝わってきた牛に関することわざ、研究成果、牛の飼い方など、全ての経験を後進に託すべく、100ページ以上にのぼる冊子を作成し、後輩に託したそう。その但馬牛への尽きることのない愛は、後進の研究者にも受け継がれています。「後輩にはいつも、“牛を好きになろう。牛の目線から研究をしよう”と指導してきました。その思いを汲んだ後輩が、母牛・子牛のストレスを軽減するための研究や、子牛がすくすく育つ飼い方に関する研究を進めてくれています。うれしいですね」と破顔。

現在は、「但馬牧場公園」内にある「但馬牛博物館」の副館長を務める野田さん。園内の牛舎を案内してもらうと、ずらりと並んだ雌牛と、まだ小さな子牛が出迎えてくれました。比較的小さいと言われる但馬牛、それでもずっしりとした重量と生命力を感じさせる大きな体に圧倒されます。「現役で種雄牛の研究を行っていた時は、牛を見ただけでどの種雄牛の子か分かりました。角の形などは牛によって大きく異なるので、見分けやすいと思います」。

「牛にもつむじや眉毛があるんですよ。ここも牛を見分けるポイントです。立ち方や踏ん張り方も牛によって異なります」と、意外な牛の見分け方まで伝授してくださる野田さん。その慈愛に満ちたまなざしの先には、この世に生を受けて間もない、必死で生きようとしている子牛と、そばで見守る母牛の姿がありました。

県民の誇りを未来へつなぐ

野田さんは現在、「但馬牛博物館」内の展示企画や、資料や道具・写真の管理・加工、但馬牛のPRイベントの運営や、大学での講演など、多様な仕事に携わっています。「貴重な資料はもちろん、“生きた但馬牛がいる”というのが但馬牛博物館の最大の魅力。本物の但馬牛に触れて、知って、考えてもらう機会になればと思っています」。

普段は進んで話をする方ではないという野田さん。しかし、但馬牛のことになると、言葉がとめどなくあふれて、ユーモアを交えながら熱く語ってくださいます。「若い時に研究成果を発表する機会があってね。真面目に話をしたら、終わった後に長老に呼び出されて『野田君。君の話は面白くない。笑いをとらなあかん』と声をかけられたんですよ(笑)」。それがきっかけで、特に一般向けに話をする際には、綾小路きみまろさんの真似をするなど、話の節々にユーモアを織り交ぜるようになったそう。現在では、白衣に身を包み、かつての同僚の手作りだという但馬牛の被り物から顔を出して、親しみやすさを交えながら、小学校でのオンライン授業や、夏休みに小学生を招いてのイベントなどで但馬牛のPRに励んでいます。

今後の目標について伺うと、「今は博物館の副館長として、持っている知識と但馬牛への思いは全て出し切ろうと思っています。いろいろな方に但馬牛を知ってもらうためのお手伝いをしていきたいです。特に、兵庫県内の方や子どもたちに但馬牛について正しく知ってもらうことで、将来県外へ出た時に“自分の故郷にはこんなにすばらしいものがあるんだ”と誇りに思ってもらいたいです」と語ってくださいました。

美方郡の人々が大切につないできた但馬牛。但馬牛と人々が共に生きる農業のあり方は、「但馬牛システム」として「日本農業遺産」にも認定されています。県民の誇りは、野田さんの愛とともに子どもたちへと受け継がれ、これからも世代を越えて守られていくのです。

  • 取材先

    但馬牛博物館

  • 公式サイト

    https://www.tajimabokujyo.jp/?page_id=3

  • 住所

    兵庫県美方郡新温泉町丹土1033(兵庫県立但馬牧場公園内) Google map

  • TEL

    0796-92-2641

  • 営業時間

    営業時間・定休日は公式HPでご確認ください