日本遺産は、損傷や破壊などから文化財・自然等を保護する世界遺産とは異なり、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することにより、地域の活性化を図るため文化庁が2015年に創設した制度です。
各ストーリーが広域に渡って展開されているため、ひとつのストーリーにたくさんの見どころがあることが魅力です。
かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって、地域のその時代ごとの風土や人情、名所、名産品が歌い継がれています。
地元の人々はこぞってこれを愛唱し、民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域への愛着を育んできました。
その流れは、今日においても、新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組として脈々と生き続けており、今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、丹波篠山の街並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開しています。
わが国最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」。
この壮大な天地創造の神話の中で最初に誕生する“特別な島”が淡路島です。その背景には、新たな時代の幕開けを告げる金属器文化をもたらし、後に塩づくりや巧みな航海術で畿内の王権や都の暮らしを支えた“海人”と呼ばれる海の民の存在がありました。
畿内の前面に浮かぶ瀬戸内最大の島は、古代国家形成期の中枢を支えた“海人”の歴史を今に伝える島です。
兵庫県中央部の播但地域。
そこに姫路・飾磨港から生野鉱山へと南北一直線に貫く道があります。
“銀の馬車道”です。
さらに明延鉱山、中瀬鉱山へと“鉱石の道”が続きます。
わが国屈指の鉱山群をめざす全長73km のこの道は、明治の面影を残す宿場町を経て鉱山まちへ、さらに歩を進めると各鉱山の静謐とした坑道にたどり着きます。近代化の始発点にして、この道の終着点となる鉱山群へと向かう旅は、鉱山まちが放ついぶし銀の景観と生活の今昔に触れることができ、鉱物資源大国日本の記憶へといざないます。
丹波、瀬戸、越前、常滑、信楽、備前のやきものは「日本六古窯」と呼ばれ、縄文から続いた世界に誇る日本古来の技術を継承している日本生まれ日本育ちの、生粋のやきもの産地です。
中世から今も連綿とやきものづくりが続くまちは、丘陵地に残る大小様々の窯跡や工房へ続く細い坂道が迷路のように入り組んでいます。
恋しい人を探すように煙突の煙を目印に陶片や窯道具を利用した塀沿いに進めば、「わび・さび」の世界へと自然と誘い込まれ、時空を超えてセピア調の日本の原風景に出合うことができます。
日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。
また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。
これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。
江戸時代、システマティックな入浜塩田による塩づくりが確立された播州赤穂。瀬戸内の穏やかな海と気候に抱かれ、千種川が中国山地からもたらした良質の砂からできた広大な干潟は、入浜塩田の開発に適していました。その製塩技術は瀬戸内海沿岸に広がり、市場を席捲するまでに成長しました。中でも赤穂の塩は、国内きってのブランドとして名を馳せ、赤穂に多彩な恵みをもたらしました。このまちには瀬戸内海から生み出される塩とともに歩んできた歴史文化が蓄積され、現在に息づいています。赤穂は今なお「塩の国」なのです。
究極の終活とは、ただ死に向かって人生の整理をすることではありません。人生を通して、いかに充実した心の生活を送れるかを考えることが、日本人にとっての究極の終活です。そして、それを達成できるのが西国三十三所観音巡礼です。日本人は海外の人から『COOL!』だと言われています。そのように評価されるのは、優しさ、心遣い、勤勉さといった日本人の本来の心であり、実はそれは日本人が親しんできた「観音さん」の教えそのものです。観音を巡り日本人本来の豊かな心で生きるきっかけとなる旅、それが西国三十三所観音巡礼なのです。
日本海から吹きつける季節風が創り上げた日本最大級の鳥取砂丘。目に見えぬ風の姿がさざ波模様の風紋(ふうもん)に映し出され、海岸を進むと風が起こす荒波に削り出された奇岩(きがん)が連なります。鳥取砂丘の砂を生み出す中国山地へと急流を辿ると、風がもたらす豪雪に育まれた杉林を背に豪邸が佇みます。さらに源流へと分け入ると岩窟の中に古堂(こどう)が姿を現します。これらは日本海の風が生んだ絶景と秘境です。
人々は、厳しい風の季節での無事とそれを乗り越えた感謝を胸に、古来より幸せを呼ぶ麒麟獅子(きりんじし)を舞い続け、麒麟に出会う旅人にも幸せを分け与えています。
江戸時代、伊丹・西宮・灘の酒造家たちは、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって、「下くだり酒」と称賛された上質の酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築きました。酒造家たちの技術革新への情熱は、伝統ある酒蔵としての矜持と進取の気風を生み、「阪神間」の文化を育みました。六甲山の風土と人に恵まれたこの地では、水を守り米を育てる人々、祭りに集う人々、酒の香漂う酒造地帯を訪れ、蔵開きを楽しむ人々が共にあり、400 年の伝統と革新の清酒が造られています。